悲しみと怒り

 

悲しみと怒りって相反する感情に思えませんか。
全く違う感情のように今まで私は思ってました。悲しみがより深くなると人によっては怒りに変わってしまうこともあるんだ・・・と、話の後半になって知りました。

ある人の話です。その人の、父親が亡くなり母親はかなりショックだったようで現実を受け入れられず、何かをしては思い出し涙する日々が続きました。あまりにもしょんぼりしていたので気分転換によくその人は外に連れ出したようです。でも、あまりにも悲しみが深くなり過ぎたのか?はたまた悲しみに暮れた日々に疲れてしまったのか・・・
本人にしか分からないことだけれど

突然、母親の感情が怒りに変貌してしまったのです。その人は「なぜ?昨日まで悲しんでいたのに・・・」
当初、相談を受けた私にとってはさっぱり分からない感情の変化でした。

一番辛かったのは、その怒りをぶつけてきたこと。何年もの間、母親はその人にありったけの怒りをぶつけ続けたのです。ある時は、夜中に突然起こされ「私の気持ちなんて分からないでしょう!」と。同じ家族であるのに家族の死の悲しみが分からないはずなんてないのに・・・。それでも母親は何年にも渡り、その人に怒りをぶつけ続けたのです。

何度となく母親に当たり続けられ、その人は半分ノイローゼになるくらいでした。そんな中、夢をみたそうです。母親が泣きながらその人に謝っている夢。でも、その人は泣きながら母親の差し出す手を振り払って拒絶するというもの。母親は家族であるのに拒絶している自分。泣いているのは本当は受け入れたいけれど、今までの母親の感情があまりにも酷すぎて受け入れられない。その人は夢の中でも葛藤していたんですね。

そんな生活が何年も続いていたけれど、その人は嫌だと思いつつも母親との関係を断つことはしませんでした。「母親を受け入れられるのは自分だけだから」諦めずに受け入れたことにより徐々に母親の怒りは収まっていきました。悲しみの感情が深くなったとき、その感情のやり場がなくて泣き続ける感情に蓋をし、怒りに変えてしまったのですね。

全く違う感情のように思える「悲しみと怒り」根源は同じところにあるのかもしれません。怒りは受け入れてくれない。やり場がない。本当は理解してほしい、聞いてほしい。そんな悲しみの感情が怒りに変化してしまったのかもしれませんね。いつか雨はやむのと同じように、涙もいつかは枯れるのかもしれません。一概には言えませんが・・・。受け入れてくれる人がいるならばその人に自分の思いを聞いてもらうことも自分の中の一歩だと考えていいかもしれません。ただ、ありったけの感情をぶつけるのはほどほどにしておいたほうがいいのかも・・・。何故なら、自分を受け入れてくれるその人の思いや優しさにも気づいてあげることも大切だからです。

 

 

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